本日も、高台寺周辺について3倍楽しむ為のポイントを解説していきます。
今回は、小堀遠州・前編についてお届けいたします☆彡
京都観光をする上でも、非常に重要なポイントでもあります、
お庭(日本庭園)をより一層楽しむ為のポイントを解説いたします。
お寺や神社巡りを行うと付き物となるお庭鑑賞となりますが、
頻繁に誰々作と出てきます。出てきても、誰やねん!としか皆さん思わないと思います。
むしろ名前すらも見ていない、インスタ映え②(ぱしゃ、ぱしゃ)で忙しい人ばかりです。
そこで、今回は、京都のお庭では頻繁に登場する、小堀遠州(こぼりえんしゅう)について、
ポイントを絞って、解りやすく解説していきたいと思います。
*高台寺のお庭が本当に小堀遠州作?かは読むとなんとなく解ってくると思います。*
小堀遠州(こぼりえんしゅう)、本名は、小堀政一(まさかず)と言い、武士の家柄です。滋賀県生まれ。
幼い頃に千利休(せんのりきゅう)に会ったり、
千利休の弟子の古田織部(ふるたおりべ)を師匠として茶の湯を学んだりして、
その後、大名茶人・作事奉行として活躍した人物です。
・大名茶人⇒簡単に言えば、お偉いさんにお茶会開く人
・作事奉行⇒簡単に言えば、公務員の中のお庭やお城などを造る部署の人
活躍した時代は戦国時代の終わりから、江戸時代初期に掛けてです。
(豊臣秀吉、徳川家康が一番活躍していた時代☆彡)
当初、小堀遠州の父親(小堀政次・こぼりまさつぐ)は浅井長政の家臣として仕えていました。
(この時代に、小堀遠州は長男として生まれます。)
浅井長政が織田信長との戦に負けると、今後は羽柴秀長(豊臣秀吉の弟)に仕えました。
秀長が亡くなった後には、豊臣秀吉に仕える事となります。
その後、うまいことして徳川家康側に乗り換えて、今度は徳川家康に仕える事となります。
*いや、仕える先の選択が凄くない?笑 賢すぎるやろと私は思ってます*
それからは徳川家の大名茶人として活躍。生涯で約400回もの茶会を開き、
延べ2000人とも言われる名だたるお偉いさんの相手をしたと言われています。
小堀遠州は、王朝文化の理念と、茶道を結びつけ、「綺麗さび」という茶道を確立したとても凄い人物です☆彡
*王朝文化・簡単に言えば、中国の文化を取り入れた、天皇や貴族中心の煌びやかな文化(イメージとしては平安神宮を思い浮かべてください)*
それでは、また!
コメント
コメント一覧 (2件)
萩工房さん
えーもう終わりですか??
小堀遠州編まだまだやってほしいって声が周りから上がってます🤯面白すぎる!!
よっしーさんへ。
いつもコメントありがとうございます。
小堀遠州の続き頑張って作成しておりますので、もうしばらくお待ちください☆彡