「京都観光」清水寺の見どころ(阿弖流為・母禮の石碑、坂上田村麻呂):その⑧
私のブロクでは、読むとまた清水寺に行きたくなる話題をお届けしております♬
目次
本日も、清水寺を3倍楽しむ為のポイントを解説していきます!
今回は、「阿弖流為(あてるい)・母禮(もれ)の石碑」についてお届けいたします☆彡
音羽の滝を先に進むと、左手にこの石碑があります。
なんこれ?字も読めんし、次行こ!
じゃないです✖
解説⇩
まずこの石碑の文字の周りの枠は、ただのもじゃもじゃじゃなくて、東北の絵が描いてあります。
そして、この阿弖流為と母禮ですが、当時、蝦夷(えみし)の一族で、東北地方で強力な力を持っていた人達です。
時は8世紀末頃へ遡ります。
東北が蝦夷と言われていた時代に、日本政府に従わなかった蝦夷の一族がいました。
時の征夷大将軍に任命されて、蝦夷の討伐に向かったのが、名前は有名な坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)です。
坂上田村麻呂はミッションに従い、無事に阿弖流為や母禮(蝦夷)を討伐して、京都に連れて帰りました。
坂上田村麻呂は、敵ながら優秀だった阿弖流為や母禮を、どうか生かしてやってくれないか?と日本政府へ助命嘆願しますが、こんな野蛮な奴らは生かしておけん!という事で、聴き入れて貰えず、結局802年に河内国「枚方・ひらかた(大阪府で、京都と大阪の間ぐらい)」で処刑されてしまいました。
この北天の雄の2人を偲んで、また坂上田村麻呂と縁があると言うことでこの石碑があります。
長くなりますので、次回なぜ坂上田村麻呂が清水寺?をお届けします☆彡
それでは、また!
コメント
コメント一覧 (2件)
毎回楽しみに拝見させてもらっています。
萩工房さんのブログを読んで、清水寺に15倍行きたくなりました👍
次回更新が待ち遠しくて仕方がないです👌歴史を絡めた京都の情報をもっと教えてほしいです!
サワデーさんへ。コメントありがとうございます。
嬉しいお言葉頂けて、本当に嬉しいです☆彡涙涙涙
ブログを書く活力となります。
引き続き頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。☆彡
清水寺もこういう話を知ってから行くと、また一層楽しめると思います。
私も撮影しながら楽しかったです☆彡