目次
本日も、清水寺を3倍楽しむ為のポイントを解説していきます!
今回は、清水の舞台と地主神社の関係についてお届けいたします☆彡
前回(その⑪)の続きとなります。
そもそもなぜ清水の舞台があそこに創られたのか?それには、本堂を渡って少し先の左手にある地主神社(えんむすびの神)が関係しています。
時は平安時代後期へ遡ります。
清水寺は平安時代後期頃には有名になり、沢山の人達が参詣に来るようになりました。
本堂に入り切らなくなり、困った清水寺の方は、この地主神社にちょっとあっちに行ってくれないかと思っていたそうです。
しかしこの地主神社は、清水寺の創建前からあり、この地域(八坂郷(やさかごう)というそうです。)では大事な神社であって、八坂郷の産土神(うぶすながみ)が祀られていました。
考えた清水寺の方は、入り切らない参拝者の為に、この清水の舞台を創ったそうです。
ようは「手狭になったから」が答えです。
清水の舞台は、この地主神社があったからこそ、ここに創られた、ありがとう!とも思う一方、
地主神社はえんむすびの神であるはずなのに、まさかの清水の舞台から飛び降りるという悲劇までも生み出しています。そう思うと、なんだか感慨深いものですね。。。
それでは、また!
コメント
コメント一覧 (2件)
落ちも内容も完ぺきてす!
ほんとに、おっもしろい!!
萩工房さんに京都を語らせたら右に出る人はいませんね👀
また楽しい情報お待ちしています!
T.Tさんへ。
引き続きコメントありがとうございます。
ブログ読んで、楽しんで頂いている方がいると思うと、本当に嬉しいです。
いえいえ、私は全然皆様におよびません。
ただ、私が大好きな京都を、皆様にも楽しんでもらえればと思ってブログを書いております。
知識不足で誤った情報もあるかもしれませんが、出来る限り私も勉強した上で、解りやすくご案内する事を心がけていきたいと思っています。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。