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本日も、北野天満宮を3倍楽しむ為のポイントを解説していきます。
今回は、火之御子社についてお届けいたします☆彡
三光門に入る手前の右側に「火之御子社(ひのみこしゃ)」という小さなお社があるのですが、
こちらも重要なポイントですので、火之御子社について語っていきます。
(まだ三光門潜らせませんよ。笑)
前回地主神社について解説(北野天満宮より前からあった神社)しましたが、
この火之御子社は、地主神社よりも以前からあったお社であり、言うならば北野天満宮の元祖みたいなものです。
火之御子社の御祭神は、火雷神(からいしん)で、「北野雷公(きたのらいこう)」と称えられ、
雷除け・五穀豊穣(ごこくほうじょう)の神として崇められていました。
この土地(北野)は平安京が出来る前(七世紀頃)に、秦氏(はたうじ)によって開拓されました。
その秦氏によって、この地に雷の神(天神、雷公)を祀る神社が創られました。
よってこの北野の地は、北野=雷というイメージが出来上がりました。
それから時は遡り、菅原道真が亡くなった後に、京都に不穏な話が広がります。
菅原道真の怨霊により、御所に雷が落とされたとか、疫病が流行ったとか・・・。
そこで、菅原道真の怨霊を鎮める為に、
「そうだ、北野の地は雷を祀る神社があったな!菅原道真は雷を落とすからな、そこにしよう!」
となって、この地に北野天満宮が創建される事になった、という事に繋がります。
菅原道真は、別名「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」と言われており、
北野=雷=天神=菅原道真=天満大自在天神という図式が出来上がりました☆彡
よって、この火之御子社は北野天満宮が創建される由来となったものであり、
また菅原道真が天満大自在天神という名前を授かる由来となったものと言われております。
それでは、また!
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