「京都観光」高台寺周辺の見どころ(豊臣秀吉・中編):その⑤

豊臣秀吉、高台寺

私のブロクでは、読むと高台寺に行きたくなる話題をお届けしております♬

目次

本日も、高台寺周辺について3倍楽しむ為のポイントを解説していきます。
今回は、前編に続き、豊臣秀吉・中編をお届けいたします☆彡

前回に続き、豊臣秀吉のあまり知られていないお話について語っていきます。

解説⇩

秀吉は織田信長から禿げ鼠と言われる程、また海外の人の文献などからも、
到底イケメンと言えるような容姿ではありませんでした。
身長はおそらく140~150㎝程度だったと推定されています。
また、秀吉の右手の指が六本あった(多指症)事が文献などから解っています。
自画像を描かせる時も、右手は隠していたとの話もあります。
秀吉は自分の容姿を相当コンプレックスに思っていたそうです。
ちなみに、秀吉は、字がめっちゃ上手だったそうです。
日本の3筆を挙げるなら誰かと字が上手な人に問うた時に、
秀吉の名前が挙がる程だったそうです☆彡

そして、秀吉は織田信長を慕っていたような感じで話がよく出てきますが、
実は文献などから、秀吉は織田信長を慕ってはいなかったと考えられています。
非常に頭の良かった秀吉は、その様に見せかけていたと考えます。
秀吉は、書状などでも織田信長を信長と呼び捨てにしたりしており、
織田信長が亡くなったあとには、織田家を抹殺しています。
更に、本能寺の変で明智光秀に織田信長を襲撃させた黒幕は秀吉だったとの話も・・・。

また秀吉の有名な話では、負けた武将でも助命をしたりして天下統一を成し遂げ、
あまり人を殺さなかったような話しも出てきますが、実は相当な数の処刑を行っています。
家系や一族を根絶やしにする程の・・・。
処刑についても、非常に残忍であり、見物に来た人々が酷すぎて、
見物に来た事を後悔して帰っていったとの逸話もあります。
秀吉の戦法で有名なお城の兵糧攻めなども、非常に残忍であり、
城内は地獄絵図のようだったと文献に残っています。
この様に武将の間では、非常に残忍な豊臣秀吉を恐れて、
無茶な命令などにも従わざるを得ない状況だったと言われています。

えーっと、まさかの話が長くなるので切り上げるの続編突入となりました。笑
さすが豊臣秀吉ですね!
次回豊臣秀吉最終話をお届けいたします!

それでは、また!

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