「京都観光」高台寺周辺の見どころ(霊屋「ねね様の想い」・後編):その⑪

高台寺、ねね様、豊臣秀吉

私のブロクでは、読むと高台寺に行きたくなる話題をお届けしております♬

目次

本日も、高台寺周辺について3倍楽しむ為のポイントを解説していきます。
今回は、前編に続き霊屋「ねね様の想い」後編についてお届けいたします☆彡

本日は特別編でお届けいたします☆彡(お付き合いください。笑)

この霊屋にまつわる、ねね様の壮大な計画だったかもしれないお話をしたいと思います。
(*萩工房の創作ですので、ご注意ください。*)

*ねね様はずっと見ていた*

1章(幕開け)

ねね様と豊臣秀吉(以下:秀吉)は当時としては珍しい恋愛結婚をしたと言われています。
ねね様は母親の反対も押切、周りの協力もあって無事に結婚する事となります。
なので結婚式はとても質素だったと伝えられています。
ねね様と秀吉との間には子供が生まれませんでした。
(秀吉が子供の頃に掛かったおたふく風邪が原因だったのではと言われています。)
お互いの間に子供が生まれなかった事で、秀吉はねね様に冷たく当たったりもしていました。
そんなお二人の間を見て、織田信長がねね様に秀吉は見込みのある男なので大丈夫だと、
励ましの書状を送ったりした事もあります。
お二人の間には子供が生まれませんでしたが、ねね様は家臣達を自分の子供の様に可愛がり、
後に有力な大名へと出世していきます。(後に計画が発動します。)
織田信長が亡くなった後は、秀吉は頭角を現していきます。
徐々に勢力を拡大し、朝廷をも巻き込み、ついに天下統一を果たします。
そんな姿をねね様は隣でずっと見ていました。

2章(計画)

権力を得た秀吉は自身のコンプレックスや出身、下積み時代を払拭するかのように、
贅沢を極め、好き放題に暴れまわります。
(もうこの頃にはねね様の計画は発動していたと考えます。)
後に、秀吉の行為は家臣も恐れ、次第に信用を失っていきます。
好き放題に暴れまわる夫、献身に家臣の世話や仕事をこなすねね様、
こんなお二人でしたので、家臣の前でもよく口喧嘩をしていたと言われています。
愛知県(尾張の国)の出身であった為、尾張なまりの三河弁で喧嘩していたそうです。
ただ、この喧嘩は戦や権力争いで疲弊していた家臣達を和ませる為に、
わざとそうしていたとの話もあります。(またやってるよ、あのお二人 笑笑みたいな)
そんなお二人を見てきた家臣達は、ねね様には絶大な信頼を寄せ、慕っていたと言われています。
夫を隣で見ていたねね様はこの状況(立場)を察していたと考えます。

3章(発動)

1598年8月18日、秀吉がついに亡くなります。(死因は解っていません。)
秀吉は遺言で亡くなった後は、阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)に埋葬するように命じていました。
ねね様は秀吉が亡くなった後は、あっさりと大阪城を明け渡します。
その後出家し、現在の圓徳院に住むことになります。
ねね様の悲願は亡くなった夫(秀吉)の菩提を弔うお寺を造る事でした。
(ここからねね様はこれまでの伏線を回収していきます。)
我が子の様に可愛がった家臣達に高台寺創建の為に、多大な貢献をしてもらいます。
(秀吉の三羽烏と言われていた、福島正紀、加藤清正、浅野長政など)
そして、秀吉と徳川家康(以下:家康)との関係を見抜いていたねね様は、家康をも操ります。
豊臣家と徳川家の対立を利用し、ねね様は淀殿(秀吉の側室)と交流を図ります。
(一説によれば、ねね様と淀殿は対立関係にあったとされていますが、
実は頻繁に連絡を取り合っており、仲がよかったのでは?と言われています。
また、淀殿の子供(秀頼)は秀吉の子供ではない事は、実はねね様は知っていたのでないでしょうか?
ねね様はずっと秀吉を見ていたからです・・・)

ねね様は淀殿と対立関係にあると家康に見せかけ、
また家康とも頻繁にコンタクトを取る(家康はねね様のお住まい・圓徳院に頻繁に訪れていたそうです。)事により、もしかしたら淀殿(豊臣家)の状況を家康にリークしていたのでは・・・。
ねね様は家康をも操り、高台寺の創建に多大な尽力をしてもらい、遂に高台寺が完成します。
完成した高台寺を見て、ねね様の計画も最終段階へと向かいます。

4章(願い)

この霊屋の入口(ねね様の木像が見ている方向)の方向は、
秀吉の方(お墓)を見ている(向いている)と言われています。
(ねね様は生前遺言として家臣に、私が亡くなった後はこの霊屋に夫と一緒に祀ってほしい。
遺体はこの霊屋に安置するようにと命じていました。)

秀吉のお墓はこの霊屋から南の方向約2kmの所(豊国廟・ほうこくびょう)にあります。
夫(秀吉)は他の女と遊んでばかりで、最後の方は部下からの信用も無くしてしまいましたが、
ねね様は常に夫(秀吉)の方を見ていて、そして愛していたのではないかと思います。
亡くなった後(死後の世界)でも、夫(秀吉)を見ていたいとの願いがこの霊屋には込められていたのではないかと考えます。
ねね様の壮大な計画は亡くなった後に完成しました。

END

それでは、また!

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 萩工房さん

    更新ありがとうございます!!
    ねね様はしたたかですね。萩工房さんも変な女の人に捕まらないように気をつけてくださいね🙆
    お仕事も応援しています📣

    • よっしーさんへ。
      いつもコメントありがとうございます。
      そしてブログも見てくださってありがとうございます。
      ねね様の想いを私なりにまとめて、小説風にしてみました。
      萩工房の創作ではありますが、ほとんどの内容は資料を参考にして作成しています。
      ねね様の実際の考えは解りませんが、当たらずも遠からずといった感じではないでしょうか。
      よっしーさんもお仕事頑張ってくださいね。

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