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目次
本日は、仏教NEW6の1人、日蓮(日蓮宗)について誰よりも解りやすく解説して行きたいと思います。
読めば、京都の神社仏閣巡りが3倍楽しめるはずです☆彡
それでは早速参りましょう☆彡
日蓮(にちれん) 日蓮宗(にちれんしゅう)
日蓮(1222年2月16日~1282年10月13日)は、日蓮宗(法華宗・ほっけしゅう)の宗祖であり、鎌倉時代初期~中期に掛けて活躍した僧侶です。
法然や親鸞とは異なり、他の宗派との対立を経て独自の宗教思想を築いたことが特徴。
日蓮の教えの中心には「法華経(ほけきょう)」への信仰があり、
「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」を唱え、
法華経に書かれた仏の真理を強調しました。
日蓮は、他の仏教宗派に対しては厳しい批判を行い、自らの教えを唯一正統と考えました。
他宗を激しく批判・口撃し、
「建長時(けんちょうじ)も極楽寺(ごくらくじ)も寿福寺(じゅふくじ)も鎌倉の寺は焼き祓い、
建長寺の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)も、 極楽寺の良観房忍性(りょうかんぼうにんしょう)も、
首を刎ねて由比ヶ浜(ゆいがはま・神奈川県鎌倉市南部)にさらせ」
等の過激な発言を行い、
良観房忍性(数々の慈善事業を行い「持戒第一の聖人」「生き仏」として尊崇され、
幕府からの信頼も厚かった人物)により幕府に訴えられ、
御成敗式目(ごせいばいしきもく)第12条「悪口(あっこう)の咎(とが)」の最高刑となる、
佐渡流罪(さどるざい)となった。
1271年に佐渡へ流罪となった後、
1274年に佐渡流罪を赦免(しゃめん・罪を許し刑罰を免除する事)され、
一度、鎌倉に戻った後に山梨県の身延山(みのぶさん)に移った。
その後1282年10月13日に胃腸系の病により入滅(高僧などが亡くなる事)。
日蓮をめちゃくちゃ簡潔にまとめるなら⇩
俺の考え(宗教)が正しい〇、他は駄目✖、
他宗教の寺は壊して、坊主は処刑しろ!と騒ぎ、
めっちゃいいやつが幕府に「あいつやばいっすよ」と訴えて、
幕府「そうだな。あいつは島流しや」と牢屋に入れられ、
しばらくして釈放されたけど、病気になって死んじゃった、、、
ですかね。
日蓮入滅時は、弟子及び信徒の数は数百人程度で、東国の数カ国に散在するに過ぎない小規模な地方教団に過ぎなかったが、六老僧(ろくろうそう)「日蓮が入滅の際に指名した6人の高弟を指す。日昭(にっしょう)、日郎(にちろう)、日興(にっこう)、日向(にこう)、日頂(にっちょう)、日持(にちじ)」、中老僧(ちゅうろうそう)「六老僧に準ずる日蓮の直弟子のこと」、九老僧(くろうそう)「日郎の高弟9人」に代表される弟子達が全国で布教活動を行い、日蓮の思想は広まっていく事となりました。
京都の神社仏閣巡りで日蓮を感じる事の出来る場所
(日蓮宗のお寺も京都には沢山ありますので、日蓮宗の八本山をご紹介いたします☆彡)
・妙顕寺(みょうけんじ):大本山
・本圀寺(ほんこくじ):大本山
・頂妙寺(ちょうみょうじ):本山
・妙覺寺(みょうかくじ):本山
・本満寺(ほんまんじ):本山
・本法寺(ほんぽうじ):本山
・立本寺(りゅうほんじ):本山
・妙傳寺(みょうでんじ):本山
以上、日蓮について京都の神社仏閣巡りと合わせてご紹介させて頂きました。
私のおすすめは妙顕寺か本圀寺です!
それでは、また!
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